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今日、安倍首相は伊勢神宮に参拝したのでしょうか、明日でしょうか。自民、民主にかかわらず、首相が正月に、皇室の祖先神である「天照大神」をまつる伊勢神宮に参拝するのが慣行になっています。確立したとまでいってよい、慣行であります。

「今上天皇」は皇室の将来を心配しているようです。皇室の制度がこのまま続いていくのかどうか、心配している。皇室の存続──昔の言葉で言えば、「国体護持」──のためには、天皇は国民に「よりそう」天皇でなければならないと考え、まことに熱心に被災地等々日本各地をまわっている。正月早々、新年の挨拶をする。戦争関連の慰霊をする。地震や台風の被害を受けた地域を訪れる。そして人びとをはげます。

かっての君主は、<支配する君主>でしたが、議会政治、民主政治が発展するとともに、主として<君臨する君主>になりました。19世紀のイギリスがそうです。「君臨すれども統治せず」という言葉は有名です。

しかし21世紀、今日の君主制、日本の君主制は、さらにもう一段階すすみ、国民に「寄り添う」かたちで、国民に<奉仕する>君主という形を取ってるのではないでしょうか。

<君臨>しているだけでは不十分なのです。国民に「サービス」する必要があります。「国民」もこの「サービス」に応えてくれるのです。国民「君主」と「国民」とのあいだに、たがいに「寄り添う」関係が成立します。

「君主制」はまぎれもなく一つの伝統的身分制度です。人間の平等という近代的観念と厳しく対立します。21世紀に「君主制」──「世襲君主」とその「王族」(皇族)の制度──とは、時代錯誤(アナクロニズム)です。しかし、にもかかわらず「君主制」=「天皇制」を維持、存続させるには、かっての<支配する君主>はもちろん<君臨する君主>でもまずいのです。

「君主制」=「天皇制」の護持のためには、<奉仕する>君主制でなければならない。このことを日本の「今上天皇」陛下は、よくわかっているのです。