体に蓄積されてしまう場合があります

コラーゲンはそもそもタンパク質なので、未分解だと体に蓄積されてしまう場合があります。毎日の生活の中でコラーゲンやヒアルロン酸を上手に摂取するようにしたいものです。一方で、魚の鱗や皮から抽出されたコラーゲンから作られるサプリメントもあります。体内のヒアルロン酸が減ってくると関節が痛くなったり、肌の水分量も減ってくるので、乾燥して潤いが無くなってきます。コラーゲン単独で摂取するよりも、体内に吸収しやすくなります。栄養素が足りない場合にはコラーゲンが排出されてしまいます。選ぶことが可能ならば、魚の皮から作られているコラーゲンのサプリメントがいいでしょう。脇汗対策クリーム
体内のコラーゲンやヒアルロン酸が不足すると、肌の弾力が失われて、しわやたるみなどが目立つようになります。ヒアルロン酸やコラーゲンを効率的に体内に取り入れることができる方法はあるでしょうか。最も望ましいことは、コラーゲンやヒアルロン酸を食事から補給することです。コラーゲンサプリメントの中で、即効性があるのはドリンクタイプのサプリメントです。

ダイエットには格闘技かヨガか

大学時代、食べ歩きが大好きでした。

居酒屋のバイトをかけもちしていたお金を、ほとんど食べ歩きに使ったといっても過言ではありません。

実家住まいだったので食事には困っていませんでしたが、おいしそうな物が載っている情報誌を見ると行かずに入られませんでした。

最近、そのうちの2箇所に行ってみたのですが、なんと両方すでに閉店していました…。

駅前ってすぐにお店が変わりますね。学生時代の思い出がなくなっていて、少し寂しかったです。

とはいっても食べあるきの趣味はまだ生きているので、体重が気になるこの頃。

格闘技でも始めようかと思ったけど身体がついていかない自信があるから、いま人気のホットヨガでも試しにやってみようか。

参考サイトです。

格闘技とホットヨガlavaを比較してみる日々

愛知県の観光ガイド

愛郷心あふれる私、最近、愛知県の観光ガイドなど読んでいる。そこで知ったこと。

江戸時代の「タマちゃん」騒動として、天保四年に「海獺」(かいだつ/うみおそ)が新田に迷い込むという事件があったという。うわさは名古屋中に広がり、うみおそを見に人が集まって、出店が出たりしたそうな。下の画像の一番左は、このときの、張り子の海獺を用いた大道芸人のようすである。かわいい。

まさにタマちゃん騒動とうり二つ。テレビもラジオもなかったのにむしろすごい。みんな動物好きだよね。

さて、そもそもこの話は、愛知県立大学歴史文化の会が作った『大学的愛知ガイド――こだわりの歩き方』(昭和社、2014年)という本で読んだのだが、この顛末が詳しく書かれた『海獺談話図会』という書物(画像もそれに由来する)が、愛知県西尾市にある岩瀬文庫に所蔵されているとのこと。

金の鯱は尾張藩の「金庫」だった

鯱は胴体が魚で、頭部が竜や獅子、鬼という想像上の生き物で、口から大量の水を噴出すことから、「火災除け」として厨子などを飾っていたが、天守閣に載せたのは、織田信長が建てた「安土城」が最初であるとされる。鯱を金にしたのはいかにも信長らしいが、権力を誇示するために、大坂城や江戸城など他の城でも載せられるようになってゆく。

名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)
これらの中でも、名古屋城の金の鯱はとりわけ豪華で、尾張藩の威光を示すものであったが、同時に藩の「金庫」の役割を担うものでもあった。尾張藩は財政が悪化すると、金の鯱の鱗を作り直して純度を下げる改鋳を行なって、資金を捻出していた。

最初の改鋳は1726(享保11)年で、天守閣の修理費を捻出するのが目的だったという。尾張藩の財政はその後も悪化したため、1827(文政10)年と1846(弘化3年)にも改鋳を実施する。減らした金の代わりに銀を混ぜたことから純度が下がり、金の鯱の光沢が鈍くなる事態に陥ってしまう。これを隠すために、尾張藩は「鳥が巣を作らないように…」などの理由をでっち上げて、金の鯱を金網で覆い見えにくくする。金の鯱は誰もが見ることができる「金庫」であり、尾張藩はその中身が減っていることを懸命に誤魔化そうとしたのであった。

地方巡業と海外公演、そして帰郷
明治維新の廃藩置県で尾張藩は消滅し、名古屋城も廃城となり取り壊されることが決定する。明治新政府への帰順の意を示すために、金の鯱は宮内庁に献納されることになり、1871(明治4)年に天守閣から降ろされて東京へ運ばれる。

ここから金の鯱の「旅」が始まった。金の鯱は翌年の5月、東京の湯島聖堂で開かれていた「第一回勧業博覧会」に出品され、再び人々の前に姿を現す。眩い姿を間近に見た人々は驚嘆の声を上げ、その様子は多くの錦絵にも描かれたが、博覧会終了後に雄と雌が引き離されてしまう。

雄の金の鯱は、石川や大分、愛媛に名古屋と、各地で開かれた博覧会を回る「地方巡業」に出る。一方の雌の金の鯱は、オーストリアのウィーンで開催された万国博覧会に出品される。「海外公演」に出た雌の鯱は、”Remarkable sea monster of grotesque form”と、 欧米人を驚かせ、「日本趣味」(ジャポニスム)のきっかけを作ることとなったのだ。

金の鯱が名古屋城に「帰郷」したのは、取り外されてから7年後の1878(明治12)年のこと。取り壊される予定だった名古屋城の保存が決まり、名古屋市民が宮内庁に返還を懇願したのだった。

名古屋城の天守閣で、再び輝き始めた金の鯱だったが、1945(昭和20)年5月14日の空襲で名古屋城が炎上し、無残にも溶け落ちてしまう。シンボルを失い落胆した名古屋の人々だったが、戦後まもなく天守閣の再建を目指す活動が始まる。1959(昭和34)年10月に名古屋城は再建され、天守閣には大阪造幣局によって作り直された2代目の金の鯱が、往時の姿そのままに輝いたのだった。

変り餡の水まんじゅう

どこの和菓子屋さんもこの時期、店頭に水槽付きの屋台を出し、井戸水を掛流した中に水まんじゅうを沈めて売ってる。涼しげでこの地方の夏の名物。

毎日曜日、商店街活性化で駅前通りが歩行者天国になっていろんなイベントが催されるのだけど、きょうは菓子博。で、それぞれの店の水まんじゅうを、1個づつ一箱に詰めたのが特別販売された。要は各店の水まんじゅうを一度に食べ比べできるという仕組み。参加店は「槌谷」「金蝶園」「みやこ屋」「胡蝶庵」「餅惣」etc…。
和菓子好きの私としては見逃せない企画で、朝一で行ったらもう並んでた。割と前のほうだったけど時計を見たら10時ちょい過ぎで、販売が10時半と聞いてヤんなった。

もう一つの企画で、各店オリジナルの変り餡の水まんじゅうを売り出してて、そっちは即買えるので、列抜けてそっちにした。20種類くらいあって迷った…。